シマちゃんのこと

ある時期に新宿二丁目で遊んでいた人にはもしかするとわかってもらえるかと思うのだけど、90年代終わり頃、あの街にはわりと有名な「ヤクザのシマちゃん」という人がいた。

 

少し体型をフワッとさせた黒沢年雄みたいな見た目の初老おじさんで、二丁目の飲み屋から「ショバ代」を巻き上げている“自称ヤクザ”だった。ニット帽をかぶった黒沢年雄的風貌からして、見た目はどちらかといえば寿町とか山谷みたいなドヤにいる日雇い労働のおっちゃんなのだけど、いつも両脇にサングラスをかけたラテン系のマフィアっぽい男を従えているので、なんとなく妙な威圧感があったのだ。昼間から営業している飲み屋にフラフラ現れて、タダ酒を飲んでは店のママに愛想笑いの接待を受けている様子を横目に、初めてヤクザなるものを見た若い私は「やっぱりヤクザはケツ持ちの店でタダ酒を喰らうのであるな…」と感心したのだった。

セクシャリティについて明言することはついになかったが、シマちゃんはヤクザらしく「ホモセックス」をたしなんでいたようで、ラテンマフィアの他に若い男の子を連れていることがあった。(一時期その子と仲良くなって色々話を聞いたはずなのだけど、今となって思い出せるのは「こんな大きい真珠がはいっててさ…」と指を丸めた彼の仕草だけである)

当時よく行っていたゲイバーによくシマちゃんが出入りしていて、その“情婦”と仲良くしていた私は、他の客やママが「やめておきなさいよ」と止めるのも聞かず、シマちゃんに誘われるまま色々なバーでタダ酒をおごってもらってゲラゲラいい気でいたのだけど、ある日連れて行かれたウリ専バーに部屋住みで売られそうになったのを機になんとなく距離をおくようになったのだった。

それ以降街で見かけても声もかけないし、自分は自分で大学のゲイサークルとか新しい世界でワイワイキラキラやっていたので、あの過去はなかったことになった。記憶を滅殺した。(その後さらなる黒歴史が待っているのだけど)

視界の片隅にいるシマちゃんを完全にオミットして心安らかに過ごすうち、彼のことを完全に忘れていたのだけど、何年か経って、病気で入院した、という噂を聞いた。ヘマを踏んでとばされたという話もあったし、端的に「死んだ」という身も蓋もない話もきいた。あんな狭い街で、噂好きな人が集まっているわりには、誰も詳しい話を知らないのは変な感じだった。本当にある日突然、あの街からシマちゃんは消えてしまったように思った。(匿名掲示板で立った彼のスレッドもあっというまに流れた)

 

新宿二丁目メガネドラッグ裏にいる高齢立ちんぼ女装は実は大企業の社長だとか、どこそこのハッテン場の一番奥には幽霊が出るとか、敵対ゲイバー同士の嫌がらせ抗争の真実とか、女装の誰と誰の仲が悪くて、とか、ゲイの噂話はたくさんあって、それぞれに一応なんらかの決着がついていたのだけど、シマちゃんのことについてだけは今でも謎のままなのである。

ホモが思い出話をし始めたら最後、と言いますし、今更こんなブログで書くような話でもないのだけど、願わくば、ヨイヨイのおっさんになって今もどこかの盛り場をフラフラしているといいなぁ、と思うのである。

タモリと受容

朝方、笑っていいとも!の観覧席で番組前指導を受ける、という妙な夢をみた。ADに拍手のタイミングを教えられているところで目が覚めたけど、あのまま見てたらいいとも青年隊タモリが歌いながら登場したのかもしれない、と思うとちょっと悔しい。

何の罪に対してどういった罰なのかわからないけど、人生でタモリのことを考えている時間が一般平均より少し高い気がする。ちょうど生まれた年に「笑っていいとも!」が始まったせいかもしれない。ヒルナンデスが始まった2011年生まれの子ども達は、いずれ人よりもナンちゃんに思いを馳せる時間の多くなる中年になるのだろう(予言)

夢で背景のセットが自然に配置されるくらいには笑っていいとも!を見ながら育ったけど、今改めて考えると不思議な番組だった。オープニングから軽快なスウィングにのって登場し、コーラス隊の青年たちと番組のテーマソングを歌うサングラスをかけたタモリ。セットの配色と明るさにごまかされてたと思うけど、あの演出って完全に夜の番組調だと思う(「11PM」とか「コルポ・グロッソ」とか)少なくとも日中明るい時間に見るような絵ヅラではなかった。ただ少なくともある時代において、あれが昼の番組のスタンダードだったわけで。人の受容と順応性の可能性はまだまだ計り知れない。

かつてナンシー関が(いいともに出演する)タモリを評して、「テレビに出ても何もカウントされない」という表現を使っていたけど慧眼だと思う。定番とかマンネリを超えた “いいともの演出” は、面白い/つまらないの判断をさせず、ただ積み重なる毎日と埋没するためだけの機能を持っていた。日々の垢のような番組が、視聴者と共に “老い” ていくのは宿命ではあった。ニヤつきながら客いじりを始め、だんだんとオープニング曲を歌わなくなっていくタモリ(最終的にはほとんど歌わなくなった)、長年レギュラーに選ばれる勝俣の目尻のシワ、など徐々に “劣化” していく出演者たち。テレフォンショッキング冒頭の「そうですね!」のやりとりや、観客のざわつきを鎮める「チャン、チャチャチャン」の手拍子など、“お約束” すら投げやりになっていく様は、視聴者とタモリの共犯的な妥協で終末へとなだれ込んだ気がしてならない。タモリが絶対的審判としてあがめられつつも、徐々に空気となっていく感じ。あれが本当の神格化だったのかもしれない。「生活に根づいた宗教」って、いいとものことだったんだな。その意味で、タモリのルックスがサングラスで覆われていたのは、外見の変化を緩くすることで、「不変」とか「永遠」を暗示する重要なファクターだった(時折横顔から覗く、想像以上に年をとったタモリという “禁忌に触れた” 感じも含めて)。

テレフォンショッキングでゲストに来る大物俳優、大御所芸人らが、タモリの家に招待されたときの話を自慢げに語り、視聴者は、タモリが招待客のためにキッチンの奥でひたすら料理をし続け、途中で一度も客に顔を見せないことなど、プライベートな情報を繰り返し繰り返し間接的に摂取する。あれはまさに神(タモリ)の前で牧師(ゲスト)がするお説教だったのだと思うと納得がいく。番組が終了することでタモリは昇天し、永遠となった。

いいとも終了後のタモリ、こないだブラタモリを見ていたけれど、各地の観光地や名勝で、表情を変えずに丁寧な案内を受けているその姿。ガイド役が出題するささやかなクイズにその博識をもって答えると「さすがよくご存知で…」と上品に褒められる姿は、絵ヅラだけ見てると完全に皇族の各地訪問のご様子であった。天子はまだ地上におなりあそばし、僕は望まずとも信者だから、いいともの外にいるタモリをどのように受け取ればいいのかわからなくて、今日も途方にくれている。

はじめに

 先日韓国に行った際、「日記に残しておきたいなぁ」とか「誰かに見せたいなぁ」とかそんな色んなアレを昇華すべくInstagramやらFacebookやらに画像と文章を延々アップしたんですが、細切れの連続投稿で人様のフィードでの見え方が気になったり、文中に画像を挿入できなかったりで、やっぱり文章量のある大型記事はSNSに向いてないなーと思ったことと、ずらっと時系列で押し流されていくSNSではなく、きちんと文章をストックしておきたい欲望が高まったので、やおらブログを始めることにしました。

 ブログのタイトルにある「マハマン」はウィザードリィの呪文です。唱えると奇跡が起きます。